軍艦島
2019.02.23Last Updated on 2019年2月23日 by tscuser
こんにちは、べしちゃんです。
先日、長崎の「軍艦島」に行く機会がありました。
今回はこの島を紹介させていただきます。
予報では70%以上雨、
上陸できない覚悟で行きましたが何と何と。。。
↑高速船に150人ほど乗船して雨の中、しゅっぱーつ!
↑雨にしっとり濡れ、まさに洋上に浮かぶ黒い巨艦です。
羽島(通称「軍艦島」)では、江戸後期から石炭が掘られ、
明治初期から三菱の経営のもと急速に開発が進んでいきました。
小さな島が、石炭の採掘量の増加に伴って埋め立てられ、やがて3倍の面積になり、学校、病院、娯楽施設を含んだ高層ビルをどんどん建築して、日本(世界)で最も人口密度が高く、近代的、文化的な島に生まれ変わっていきます。
↑「ガンショーくん」
小さい島に大きな帽子がかぶさるように横に面積が増えていきました。
いよいよ上陸。
あれっ、いつの間にか雨が止んでる(*^^)v
↑瓦礫がごろごろ散らばっています。
↑廃墟の前で。
船内でカッパが配布されましたが。。。
↑高層住宅が立ち並ぶ光景は大都会?!
↑ガイドさん。
建物の中は危険なので3年ほど前から入れないそうです。
島の中には、学校、病院、警察、郵便局などの公共施設、
パチンコ、映画館、卓球場、プール、銭湯、、
商店街、飲み屋街、、、などなど
↑7階建ての小・中学校が入ってたビル。
↑s30年代、テレビの普及率が全国10%台の頃、
島の家庭では100%テレビが普及していたそうです。
↑世界文化遺産への登録は最も古い構築物である外側の岸壁跡だけが認定されているそうです。
その裏では過酷な炭坑夫の労働環境の実態もありました。
給料などの待遇は一般人の数倍以上ではありましたが、
いつ災難に巻き込まれるか分からないこの世とは思えないほどの
血みどろの作業を強いられていました。
↑そのことを垣間見るこの「地獄の底は頭の上」という手記から推測できます。
昭和49年の閉山まで、戦前戦後の高度成長を支えてきた石炭産業の縮図が見て取れました。
(長崎は。。。)
江戸-明治-大正とヨーロッパとの貿易の玄関口でもありました。
三菱造船など三菱の看板をよく目にします。
原爆が投下されながらも見事に復興しています。
潜伏キリシタン、造船、石炭などいろんなものが世界文化遺産として登録されています。
今一度、長崎の産業、文化の歴史をもっと学びたいと思った一日でした。